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───  恋人の存在は大きそうですね。

でも、中村さんはどういう過程を経て
プロのカメラマンになられたんですか?
中村   ぼくの場合、
大学に行かないということは
はじめから決めていて。
そうすると高校3年の1月の末から、
単位は既に取っていたこともあって、
めちゃくちゃヒマになったんです。

それで最後の2カ月、学校に行かないで、
思い立って沖縄に行ったんです。
行ってみたことがある人は、
何となくわかると思うんですが、
沖縄に行くような若者って
けっこう一眼レフを
首からぶら下げているんです。
それまでコンパクトカメラしか
知らなかったので、単純に
「あ、良いな」と思って。
で、ぼくは沖縄に行ったは良いが、
いろいろ跳ね返ってきて、
テンション的には
微妙にショボーンとしていたんです。

それで、その若者たちに慕われている、
おそらくぼくよりも10以上年上の
ステキな女性がいたんです。
バニーガールの仕事をしたことがあるらしく、
バニーさんと呼ばれていて、
人気者だったのですが、その人に
「ぼくもカメラをやってみたいな」
ということを言ったら、
「あなたならできるよ」
ということを普通に言ってくれたんです。

───  何かの物語みたいな話ですね。
中村   ええ。
実際に撮った写真を見たわけでもないので、
どういうつもりで言われたのか、
未だに分からないのですが。
その一言がぼくのことを励ますとか
そういうことではなくて、
何かあたり前のことかのように言われたのが
すごく強く心に残って、
「これは始めよう」って思ったんですよ。

それで東京に帰ってから、
まず一眼レフのカメラを買おうと思って、
プラスチックっぽいボディの
3万円のカメラと迷ったんですが、
一生モノだと思って、
思い切ってチタンボディの
15万円のカメラを買ったんです。

シャッター音からして重厚感が全然違うやつで、
それで彼女とかを撮ったりしていました。

実際、写真で食べていこうというのは、
少なくとも高校卒業の頃には
考えていなかったことです。
19〜20になる頃、
フロムAを見たら白ホリの広告とかを撮る
写真スタジオの求人が載っているのを見て、
応募しました。

ふつう写真スタジオって
そういうところに求人情報なんか
載せないんですが、それに受かって。
プロになるコースを作ったきっかけはそれですね。

それから2年して、子どもができました。
その頃、奥さんと共働きだったんですが、
奥さんもつわりがきて
働き続けられなくなったので、お金がなくて
困ったということになったのがきっかけで、
写真スタジオをやめて、
案件毎に現場に行くような、
フリーのカメラアシスタントになりました。
その方が実入りがいいからです。

───  あぁ、なるほど......。
養育費をはじめとして、
切実に稼ぐ手段が必要となって、
自然と今の中村さんがあるわけですね。
簡単なことではないと思いますが。
中村   その頃、23とかですが、
ふつうその年齢では、
フリーのカメラマンになるには若すぎるんです。
30でも若手の世界ですから。

でも、自分が子どもがいることと、
まだあまり子ども専門の
カメラマンがいなかったことから、
これを仕事にできるのではと
徐々に考えだしました。

若いということはより
子どもに年齢が近いことでもありますし、
子どもと遊ぶこと自体体力がいることなので、
ついに独立しました。

たまたま仕事がない時期と、
子どもが小さかった時期が重なって、
たくさん触れ合うことができたのも、
撮影にすごく活きています。
そういったところは、
運が良かったんだと思っています。

  第6回は月曜日にアップします!

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10年05月07日

さいきん紹介した中村愛インタビュー